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歴史・文化

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兵庫県

赤穂城

赤穂城
浅野長直の指示によって慶安元(1648)年から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。 藩の家臣で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。 城地は、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある船入は船が出入りできるようになっていました。 昭和46年に国史指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、平成18年には『日本100名城』に選ばれました。 本丸内には刃傷事件後に大石内蔵助らが大評定に集まった御殿の間取りが復元されており、天守台からは本丸内はもとより広々とした赤穂の風景が眺められます。

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兵庫県

皆田和紙紙すき体験

皆田和紙紙すき体験
室町時代からの歴史があるとされ、佐用町皆田地区を中心に製造されていた伝統産業。昭和43年に生産が途絶えたものの昭和45年に復活し、現在は皆田和紙を使った便箋や団扇、行灯など様々な製品が製造されています。皆田和紙紙すき文化伝承館では、皆田和紙紙すき体験を楽しめます。

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兵庫県

平福の街並み

平福の街並み
江戸時代に因幡街道随一の宿場町として栄え、今も昔ながらの姿で、南北に1.2キロほど続きます。連子窓、格子戸の平入りの家々、佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観です。

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兵庫県

利神城跡

利神城跡
利神山上の三層の楼閣は、あたかも雲を衝くがごときいようから「雲突城(くもつきじょう)」と呼ばれました。山頂(標高373m)には石垣群が今も昔の姿をしのばせています。 ※石垣崩落の危険性があることから、一般のお客様の入山は禁止されています。入山を希望される場合は、佐用山城ガイド協会が実施する「利神城ガイドツアー」に限り登山が可能です。

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兵庫県

万葉の森

万葉の森
稲美町は古来より万葉集に詠まれた“いなみ野”に位置し、この万葉の森は当時のいなみ野と瀬戸内海を形造った日本庭園です。園内には約120種類の万葉植物や「いなみ野」が詠まれた歌碑、庭が一望できる「憩いの館」などがあり、心が落ち着きます。また、近くには郷土資料館や播州葡萄園歴史の館もあります。

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兵庫県

播州織工房館

播州織工房館
のこぎり屋根の織物工場を再生し、播州織製品を扱うアンテナショップ。播州織のシャツ・小物・雑貨などの販売・展示をはじめ、大型織機や手織り機の展示を行うなど、西脇市の地場産業「播州織」の魅力を発信しています。

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兵庫県

生野銀山

生野銀山
年間を通して坑内温度は13度、全長約1000mの観光坑道。

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兵庫県

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場跡
圧倒的迫力のある産業遺産

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兵庫県

小野市伝統産業会館

小野市伝統産業会館
市の特産品である家庭用刃物やそろばん、木工芸品のほか、兵庫県内の伝統工芸品について学べる施設。展示場やショップがあり、そろばんの玉入れ体験(無料)もできます。

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兵庫県

浄土寺

浄土寺
浄土寺の浄土堂(国宝)は、鎌倉時代に重源上人が建立した大仏様の建物です。堂内には名仏師・快慶作の阿弥陀三尊立像(国宝)があります。西日が差し込み、高さ5.3mの阿弥陀三尊立像が照らし出される姿は圧巻です。

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兵庫県

旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)

旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)
旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)は、明暦3年(1657年)に明石藩5代藩主松平忠国によって造られ、昭和38年(1963年)まで灯台としての役割を果たしてきました。明石市指定文化財に指定されています。

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兵庫県

明石城(兵庫県立明石公園)

明石城(兵庫県立明石公園)
小笠原忠政(後の忠真)により築城され約400年の歴史を持つ日本100名城のひとつです。巽櫓と坤櫓は日本に12基しか現存していない貴重な三層櫓の内の2基であり、国の重要文化財に指定されています。園内には、武蔵の庭園や芝生広場もあり、ゆっくりと散策できます。「日本の都市公園100選」や「さくらの名所100選の地」にもなっており、多くの来園者で賑わっています。

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兵庫県

清涼山心月院

清涼山心月院
三田市藩主九鬼家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓以外に、吉田茂の懐刀として戦後復興に尽力した白州次郎と妻で随筆家の白洲正子の墓があります。

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京都府

伊佐家住宅

伊佐家住宅
2,600平方メートルの敷地にあるこの建物は、何代にもわたって庄屋(村の長)を務めた伊佐家の先祖代々の住宅です。1975年に主屋が重要文化財に指定され、1980年には5つの蔵、木小屋、普請文書、古図、宅地が追加指定されました。 主屋は1734年に再建されており、江戸時代(1603年-1867年)中期のこの地域特有の住宅建築のよく保存された例となっています。特別に厚い茅葺きの屋根や、通常は公家や武士の家にしかなかった赤い土壁、大きなかまどである「大くど」を備えた広い台所、そしてたくさんの部屋はこの建物の特徴です。これらは、庄屋の務めを果たすためにとても重要なものでした。 主屋の南側には、かつては賓客を迎えるために使われていた、家の格式が一目で分かる木製の式台が備えられています。賓客はこの式台を上って玄関の間へ入り、間もなく大きな仏壇のある控えの間に入り、その後、彫刻が施された木製の欄間や美術品を展示するための床の間と違い棚などがある奥座敷に通されます。 その他にも、村の年貢米を保存するための二つの大きな蔵や、神社やお寺で多く見られるものの様な、高い所にある、屋根付きの渡り廊下など注目すべき建造物や特徴があります。かつて屋敷を囲んでいた堀の跡が南側にあります。

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京都府

相槌神社

相槌神社
相槌神社は、その水が優れた刀剣を作るのに適しているとされる神社脇の井戸があることから、刀作りと強く結びついています。平安時代(794~1185年)後期には、有名な刀鍛冶である五郎太夫安綱と三条宗近が、相槌神社の隣にある井戸の水を使って刃を鍛造したと言われています。その中で最も有名なのは髭切と膝丸で、この2本の刀は、歴史を通じて多くの英雄的戦士を生み出した源氏の宝物と見なされています。神社の伝説では、商業と農業の神である稲荷が、五郎太夫安綱の刀の鍛造を助けるため現れたとされています。 刀が無事に完成した後、この稲荷を祀るため、井戸の隣に相槌神社が建立されました。相槌神社の井戸には、江戸時代(1603~1867)に石が敷き詰められ、そしていつ頃かは不明ですが、神社の銘板に刀工の三条宗近についての記載が加えられました。相槌神社は1710年まで石清水八幡宮によって管理されていましたが、その神徳への信仰が非常に強かったことから、近隣住民が独自に資金を集めて神社の修繕を行うようになりました。 相槌神社の裏手にある山は男山で、神社の脇から出ている参道は石清水八幡宮に続いています。

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京都府

単伝庵(らくがき寺)

単伝庵(らくがき寺)
単伝庵寺院はらくがき寺、つまり「落書きの寺院」として一般に知られています。ここに安置されている大黒天に願い事をより良く見てもらえるようにするため、参拝者が大黒堂の内壁に直接願い事を書くことは、この寺の珍しい習慣になっています。これは、小さな木製の平板に願い事を書いて神社や寺院のお堂の外に掛けるという、より一般的な習慣の代わりとなるものです。 大黒天は財福の神様であり七福神の一柱です。単伝庵にある小さな像は、走り大黒、つまり「走っている大黒天」と呼ばれていますが、それはこの大黒天が足を踏み出しているように彫られているためです。寺の伝説によると、この像は、著名な武士・武将である楠正成(1294?~1336)が戦の勝利を祈願して近隣の石清水八幡宮に寄進した楠木の一部から作られました。 単伝庵の起源は不明ですが、現存する記録によると、1711年に臨済宗妙心寺宗派の僧侶である瑞応(1664~1734)によって再建されました。この寺院は何度か移転され、20世紀初頭には荒廃してしまいました。地域からの支援と寄進により、1950年代に現在の形で復興しました。

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京都府

飛行神社

飛行神社
飛行神社は、日本の航空の先駆者である二宮忠八(1866~1936)によって創建された比較的新しい神社です。 忠八は、幼い頃に空を飛ぶことへ興味を持ち始め、それは生涯を通してずっと続きました。20代で看護卒として勤めていた頃、彼は自然から着想を得て、固定翼の「カラス型飛行器」を製作し1891年にはその飛行に成功。また、尾翼がなく人が乗れる複葉機モデルである「玉虫型飛行器」を作りました。忠吉は、有人飛行機の製作資金を得るために何年も製薬会社で働き努力しました。彼は八幡で試作機の製作を始めましたが、完成前の1903年に、ライト兄弟が動力付き重航空機の制御飛行を世界で初めて成功させました。 航空分野の進化に伴い、飛行機関連の死者が増加することを憂慮していた忠八は、神職になり、1915年にこの神社を創設し、飛行神社すなわち「フライトの神社」と名付けました。中央の祭壇には、空の神様である饒速日命が祀られています。左側の祭壇には、日本の製薬業界の偉人が祀られています。右側の祭壇は、航空事故で亡くなられた御霊と航空の開拓者が祀られています。世界は同じ空の下でつながっているという信念に基づき、飛行神社は国籍に関係なくすべての犠牲者を祀っています。 この神社には、スケッチ、凧、写真、そして飛行機の模型を含め、忠八と彼の発明に関連する品々を収蔵する小さな資料館があります。

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京都府

神應寺

神應寺
神應寺は、その近隣にある石清水八幡宮を建立した行教律師によって860年に創建されたと言われています。このお寺は元々、日本の伝説的な第15代天皇である應神天皇の御牌所として建てられました。 神應寺は室町時代(1336~1573)から曹洞宗の寺院です。ここは豊臣秀吉(1537~1598)や、徳川家康(1543~1616)をはじめとする徳川将軍などの権力者たちから崇拝されてきました。 本堂には、医学と治療の仏様である薬師如来の像が安置されています。また、衣冠束帯の豊臣秀吉像や、国指定重要文化財である平安時代(794~1185)初期の行教像もあります。行教像は元々、石清水八幡宮がかつて神道と仏教を融合して信仰する神仏習合の場であった頃、石清水八幡宮に安置されていました。1868年の政府の命による神仏分離が行われた後、神應寺に移されました。 神應寺の奥の谷には奥の院と称される数棟のお堂があり、その中の一棟では仏教の明王である不動明王が祀られています。また、「ひきめの滝」で滝行を行うために奥の院を訪れる参拝者もいます。

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京都府

善法律寺

善法律寺
善法律寺は、男山のふもとにある律宗の仏教寺院です。境内にある約100本の美しいモミジの木が、この寺院にもみじ寺(「モミジの木の寺院」)という別名を与えています。善法律寺は、石清水八幡宮がかつて神道と仏教を融合して信仰していた神仏習合の施設であった頃に検校を務めた善法寺宮(キュウ)清(セイ)(またはミヤキヨとしても知られている)によって、13世紀半ばにその菩提寺として建立されました。足利三代将軍、足利義満(1358~1408)の母である紀良子(1336~1413)は、善法寺家の出身で、特にこの寺を積極的にサポートしました。有名なモミジの木の始まりは彼女の寄進したものであると言われています。 京都府指定文化財に指定されている善法律寺の本堂と正門は、それぞれ、17世紀と18世紀に建てられました。本堂には貴重な像やその他の芸術作品が数多くありますが、最も有名なのは、この寺の本尊である八幡大菩薩の像です。この像は元々、地蔵菩薩像として平安時代(794~1185)に彫られましたが、後年、八幡大菩薩を表したものとして信仰されるようになったと言われています。この像は、神道と仏教の神仏習合の時代に石清水八幡宮に祀られていましたが、1868年に政府の命令により両宗教が分離されたとき、善法律寺に移されました。寺宝の多くは、八幡市指定文化財に指定されています。

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京都府

正法寺

正法寺
正法寺は、17世紀の寺院建築の保存状態の良い例であり、注目に値する像、絵画、眺めの美しい庭園があります。この仏教寺院は、鎌倉幕府を創立した源頼朝(1147~1199)の家臣である志水氏の菩提寺として1191年に建立されました。1546年から、正法寺は後奈良天皇(1497~1557)の命により、国の安全と繁栄を祈願する役目も任されました。 正法寺は、徳川初代将軍である徳川家康(1543~1616)の側室となった志水家の娘であるお亀の方(1576~1642)の大きな恩恵を受けました。本堂、大方丈、唐門は1630年にお亀の方の寄進で建てられ、国指定重要文化財に指定されています。本堂には鎌倉時代(1185~1333)の阿弥陀如来像が本尊として祀られており、本堂の塗装された木造の内部は今でもほとんど元の色を保っています。大方丈と書院には中国古典と自然をテーマにした襖絵が飾られており、寺院の裏庭は京都府指定名勝です。近くにある八角形のお堂である八角堂にかつて祀られていた阿弥陀如来の大きな像は、2008年に保管のため正法寺の法雲殿というお堂に移されました。 この寺院は通常一般公開されていませんが、年に数回の特別な機会に訪問することができます。
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