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京都府, 寺社仏閣, の検索結果

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京都府

随心院

随心院
真言宗小野流の大本山で、正暦2年(991)弘法大師第8世の法孫仁海(にんがい)僧正の開基であって、もと牛皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺といった。当院は真言宗小野流発祥の地であって、第5世増俊が塔頭に随心院を建立し、第7世親巌の時、後堀河天皇より門跡(もんぜき)の宣旨をうけ、以来、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡と称した。その後、応仁の兵火で炎上したが、慶長4年(1599)九条家から入った第24世増孝が再興し、今日にいたっている。  本堂は再興当時のもので、本尊如意輪観世音菩薩像のほかに、阿弥陀如来像(重要文化財)及び快慶作の金剛さった像等を安置する。書院は徳川秀忠(ひでただ)夫人天真院尼の寄進である。  この附近は、小野小町の旧跡と伝え、境内には小町文塚、化粧の井戸があり、小町の艷書をはったという地蔵菩薩も安置されている。  なお、境内地は昭和41年6月21日文化財保護法による史跡に指定された。

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京都府

常照皇寺

常照皇寺
臨済宗天龍寺派の禅寺。南北朝時代の北朝初代光厳上皇が建立し、ここに隠棲した。庭には、国の天然記念物「九重桜」、御所より枝分けした「左近の桜」、「御車返し」など名木がある。 戦国期の一五七九(天正七)年、丹波の守、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇の「ひねりこうし」のこぼれ話にあるように、志納などで漸次回復した。また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、第二次世界大戦のあおりにより多くの寺田や寺の資産は亡失。その後、現在の姿に復元した。

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地蔵院

地蔵院
1367年(貞治6)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。勧請開山は夢窓国師、本尊は地蔵菩薩である。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもある。境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称される。本堂には、地蔵菩薩の他に、夢窓国師、宗鏡禅師、頼之公の木像が安置されている。本堂北の方丈には平庭式枯山水庭園があり、羅漢に見立てられた十六個の自然石が配されている。竹林以外は、境内一円鮮やかな苔に覆われている。楓が多いため、春は新緑、秋は紅葉が美しい。折々に、侘助椿や山茶花などが彩りを添える。本堂南には宗鏡禅師、頼之公の墓所がある。また、細川護熙元首相筆の襖絵である瀟湘八景図も見どころである。境内一円は京都市の文化財環境保全地区に指定されている。なお、土曜日の夕方には寺ピアノがあり、プロ・アマを問わず誰でも方丈でピアノ演奏を奉納できる。

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浄住寺

浄住寺
苔寺や鈴虫寺、地蔵院「竹の寺」に程近く、参道石段の紅葉が美しい葉室山浄住寺は、弘仁元年(810)、嵯峨天皇の勅願寺として開創され、公家の葉室家の菩提寺として栄えた古刹。

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京都府

金花山 宝泉寺

金花山 宝泉寺
南北朝時代の延文元年(1356年)、心蓮上人が母の病気平癒を祈願し、十一面観世音をご本尊として、高雄山神護寺から京北に移転し、開創されたと伝えられています。その後、真言宗御室派の寺院として、古くから人々の安寧を祈願し、護摩を修してきました。 2018年秋、その宝泉寺の裏山に200本の桜を植えるプロジェクトが始動しました。もともと宝泉寺には、樹齢50年の八重紅枝垂れや、世界遺産の仁和寺から移植した御室桜など、たくさんの桜が毎年きれいな花を咲きます。大きな八重紅枝垂れには「平安しだれ桜」や「観音桜」という愛称が付いています。京都市内中心部より少し遅咲きの桜で、4月中旬頃に満開を迎え、知る人ぞ知る桜スポットでもあります。

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三千院

三千院
四季折々の美しい風景が広がる名刹で、天台宗五箇室門跡の一つ。最澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を建立したのが起こりと伝わる。往生極楽院に安置されているのは、国宝の阿弥陀三尊像。苔むす庭園では、いたるところで石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出合える。

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相槌神社

相槌神社
相槌神社は、その水が優れた刀剣を作るのに適しているとされる神社脇の井戸があることから、刀作りと強く結びついています。平安時代(794~1185年)後期には、有名な刀鍛冶である五郎太夫安綱と三条宗近が、相槌神社の隣にある井戸の水を使って刃を鍛造したと言われています。その中で最も有名なのは髭切と膝丸で、この2本の刀は、歴史を通じて多くの英雄的戦士を生み出した源氏の宝物と見なされています。神社の伝説では、商業と農業の神である稲荷が、五郎太夫安綱の刀の鍛造を助けるため現れたとされています。 刀が無事に完成した後、この稲荷を祀るため、井戸の隣に相槌神社が建立されました。相槌神社の井戸には、江戸時代(1603~1867)に石が敷き詰められ、そしていつ頃かは不明ですが、神社の銘板に刀工の三条宗近についての記載が加えられました。相槌神社は1710年まで石清水八幡宮によって管理されていましたが、その神徳への信仰が非常に強かったことから、近隣住民が独自に資金を集めて神社の修繕を行うようになりました。 相槌神社の裏手にある山は男山で、神社の脇から出ている参道は石清水八幡宮に続いています。

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単伝庵(らくがき寺)

単伝庵(らくがき寺)
単伝庵寺院はらくがき寺、つまり「落書きの寺院」として一般に知られています。ここに安置されている大黒天に願い事をより良く見てもらえるようにするため、参拝者が大黒堂の内壁に直接願い事を書くことは、この寺の珍しい習慣になっています。これは、小さな木製の平板に願い事を書いて神社や寺院のお堂の外に掛けるという、より一般的な習慣の代わりとなるものです。 大黒天は財福の神様であり七福神の一柱です。単伝庵にある小さな像は、走り大黒、つまり「走っている大黒天」と呼ばれていますが、それはこの大黒天が足を踏み出しているように彫られているためです。寺の伝説によると、この像は、著名な武士・武将である楠正成(1294?~1336)が戦の勝利を祈願して近隣の石清水八幡宮に寄進した楠木の一部から作られました。 単伝庵の起源は不明ですが、現存する記録によると、1711年に臨済宗妙心寺宗派の僧侶である瑞応(1664~1734)によって再建されました。この寺院は何度か移転され、20世紀初頭には荒廃してしまいました。地域からの支援と寄進により、1950年代に現在の形で復興しました。

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飛行神社

飛行神社
飛行神社は、日本の航空の先駆者である二宮忠八(1866~1936)によって創建された比較的新しい神社です。 忠八は、幼い頃に空を飛ぶことへ興味を持ち始め、それは生涯を通してずっと続きました。20代で看護卒として勤めていた頃、彼は自然から着想を得て、固定翼の「カラス型飛行器」を製作し1891年にはその飛行に成功。また、尾翼がなく人が乗れる複葉機モデルである「玉虫型飛行器」を作りました。忠吉は、有人飛行機の製作資金を得るために何年も製薬会社で働き努力しました。彼は八幡で試作機の製作を始めましたが、完成前の1903年に、ライト兄弟が動力付き重航空機の制御飛行を世界で初めて成功させました。 航空分野の進化に伴い、飛行機関連の死者が増加することを憂慮していた忠八は、神職になり、1915年にこの神社を創設し、飛行神社すなわち「フライトの神社」と名付けました。中央の祭壇には、空の神様である饒速日命が祀られています。左側の祭壇には、日本の製薬業界の偉人が祀られています。右側の祭壇は、航空事故で亡くなられた御霊と航空の開拓者が祀られています。世界は同じ空の下でつながっているという信念に基づき、飛行神社は国籍に関係なくすべての犠牲者を祀っています。 この神社には、スケッチ、凧、写真、そして飛行機の模型を含め、忠八と彼の発明に関連する品々を収蔵する小さな資料館があります。

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京都府

神應寺

神應寺
神應寺は、その近隣にある石清水八幡宮を建立した行教律師によって860年に創建されたと言われています。このお寺は元々、日本の伝説的な第15代天皇である應神天皇の御牌所として建てられました。 神應寺は室町時代(1336~1573)から曹洞宗の寺院です。ここは豊臣秀吉(1537~1598)や、徳川家康(1543~1616)をはじめとする徳川将軍などの権力者たちから崇拝されてきました。 本堂には、医学と治療の仏様である薬師如来の像が安置されています。また、衣冠束帯の豊臣秀吉像や、国指定重要文化財である平安時代(794~1185)初期の行教像もあります。行教像は元々、石清水八幡宮がかつて神道と仏教を融合して信仰する神仏習合の場であった頃、石清水八幡宮に安置されていました。1868年の政府の命による神仏分離が行われた後、神應寺に移されました。 神應寺の奥の谷には奥の院と称される数棟のお堂があり、その中の一棟では仏教の明王である不動明王が祀られています。また、「ひきめの滝」で滝行を行うために奥の院を訪れる参拝者もいます。
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