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大阪府, 歴史・文化, の検索結果

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千利休屋敷跡

千利休屋敷跡
わび茶を大成した千利休の屋敷跡。椿の井戸や利休ゆかりの大徳寺山門の部材で建てられた井戸屋形があります

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岸和田城

岸和田城
江戸時代には大坂城の南の守りの役割を担った城。現在の天守閣は昭和29年(1954年)に建造された3層3階の復興天守。内部は資料展示室と望楼を楽しめる。天守閣前には重森三玲が手掛けた「八陣の庭」が広がっています。南海本線「岸和田」駅より15分、「蛸地蔵」駅より7分 料金:300円

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仁徳天皇陵古墳

仁徳天皇陵古墳
クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。百舌鳥耳原三陵の一つで、墳丘は3段に築成され三重の濠がめぐり10基以上の陪塚があります。 エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。 昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。 日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっています。

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五風荘

五風荘
旧岸和田城内の新御茶屋跡などに昭和4年から10カ年の歳月を要し、造営された広壮な回遊式日本庭園。正門は奈良東大寺塔頭中性院表門を移築したもので、岸和田にゆかりの深い楠木氏の「楠」の字をもじって「南木門」とされています。3千坪の敷地には日本建築の粋をこらした主屋と庭園を見渡せる三つの茶室があります。          南海本線 蛸地蔵駅 徒歩3分(蛸地蔵駅から193m)

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大阪中之島美術館

大阪中之島美術館
大阪中之島美術館は2022年2月2日、大阪・中之島に開館しました。 コレクションは洋画、日本画、海外の近代絵画、現代美術、版画、写真、彫刻、デザインなど、多岐にわたります。とりわけ佐伯祐三の名作、モディリアーニの裸婦像、具体美術協会のリーダー・吉原治良の作品、海外作家の代表作などは、国内外で高く評価されています。 フランス語で誰でも自由に行き交うことができる歩行者専用のアーケードや小径を指す「パッサージュ (passage)」を建築のコンセプトとし、美術館に興味がある人も、ない人も気軽に通り抜け、ときにアートを体感できる、開かれたアートの活動拠点となることをめざしています。 多彩なコレクションの公開に加え、幅広い分野の展覧会の開催に意欲的に取り組み、新たな美術のプラットフォームとしてみなさまをお待ちしています。

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鉄炮鍛冶屋敷

鉄炮鍛冶屋敷
種子島に伝わった鉄炮の製法を橘屋又三郎などが堺に伝えてから、堺は日本一の鉄炮の生産地になりました。井上関右衛門衛住宅は、全国で唯一のこる江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居として堺市の有形文化財に指定され、「鉄炮鍛冶屋敷」として公開します。 井上関右衛門家住宅が立地する環濠北部エリアは、鉄炮鍛冶やその関連職人が集住し、分業により日本でも有数の鉄炮生産をおこなっていました。 近年、屋敷内からは二万点を超える古文書など江戸時代の鉄炮生産に関する歴史資料が発見されました。堺市では、これらの資料や「本物のものづくり空間」である貴重な建物を広く公開するため、令和2年から文化財建造物として保存修理工事を進め、令和6年3月から「鉄炮鍛冶屋敷(町家歴史館 井上関衛門家住宅)」として公開します。

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堺市立町家歴史館 清学院

堺市立町家歴史館 清学院
修験道の道場であり、河口慧海も学んだ寺子屋としても知られる登録有形⽂化財 堺の環濠北部エリアにあり、元禄2年(1689年)の「堺⼤絵図」には「山伏清学院」の名で見えるなど、修験道の道場としての歴史を持っています。また、江戸後期から明治初期には「清光堂」という寺子屋でもあり、堺に⽣まれ日本人で初めて ヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河⼝慧海(1866年~1945年)もここで学びました。 敷地内に不動堂、庫裏、門がコンパクトにまとめられ、寺院の趣を備えています。 江戸時代に都市の内部で営まれていた修験道の施設で市内でも数少ない現存する寺子屋の遺構として重要で平成14年(2002年)に国の登録有形⽂化財となりました。 平成23年から「町家歴史館 清学院」として公開、寺子屋に関係する資料や、河口慧海関係資料などを展示しています。

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堺市立町家歴史館 山口家住宅

堺市立町家歴史館 山口家住宅
国の重要⽂化財で、伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる ⼭⼝家住宅の主屋は、慶⻑20年(1615年)⼤坂の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられました。国内でも現存する数少ない江戸の町家のひとつとして極めて貴重であることから、昭和41年(1966年)に国の重要⽂化財に指定されました。 元禄2年(1689年)の「堺大絵図」には、山口家の屋号である「越前屋」の記述が見え、現在の場所に敷地があったことがわかります。その後安永4年(1775年)に南側の玄関部分や西土蔵、寛政12年(1800年)に北⼟蔵の増築を経て、現在の間取りが完成しました。 広い土間の上には立派な梁(はり)が架かり、壮⼤な空間を作っています。また樹齢約200年の⼤ハゼの⽊を中⼼とする庭では、秋の紅葉を楽しむことができます。 平成21年から「町家歴史館 山口家住宅」として公開しています。

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本家小嶋

本家小嶋
独特の製法で四八〇年 天文元年(1532年)、菓子屋吉右衛門として創業、 室町時代からの伝統の味を現代に伝えます。 なかでも「芥子餅」は丹念に練り上げた こし餡をきめ細やかな求肥で包み、 芥子の実をまぶした堺の伝統的和菓子です。

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旧堺燈台

旧堺燈台
堺のシンボル旧堺燈台。日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています。 室町時代から安⼟桃⼭時代にかけて、天然の良港であった堺港は海外貿易港としても発展しました。後に⼤和川の付け替えにより衰退しましたが、江⼾の商⼈と堺の⼈々により修築されたのが現在の堺旧港の原型です。その大波止に、明治10年(1877年)堺の⼈々の寄付などにより⾼さ約12mの六角錘形の⽊造洋式灯台が築造されました。灯台はおよそ1世紀にわたって堺港に出⼊りする船の航海の安全を守ってきましたが、周辺の埋め⽴てが進んだ昭和43年(1968年)にその役割を終えました。今なお堺のシンボルの⼀つとして保存され、現地に現存する⽇本最古の⽊造洋式灯台の⼀つとして国の指定史跡になっています。近年⽼朽化が著しかったのを平成13〜18年度に保存修理⼯事が⾏われ往時の姿が甦りました。周辺は龍⼥神像とともに新たな親⽔ゾーンとして親しまれています。
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