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歴史・文化

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滋賀県

比叡山延暦寺

比叡山延暦寺
比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されています。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まりです。最澄が中国に留学して天台宗を開宗してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を輩出しています。全盛を誇った平安時代末期には、三塔・十六谷・三千坊を数えていたといわれています。この時代に門下の対立が激しくなり、分立した三井寺(園城寺)の寺門に対して、山門と呼ばれています。  杉木立が深く生い茂っている比叡山中の境内は、天台宗修行道場としての威厳に満ちみちた雰囲気が漂い、訪れる者の心を引き締めます。延暦寺は比叡山の山上山下に大別されており、山上には、根本中堂を中心とした東塔、釈迦堂を中心とした西塔、円仁によって開かれた横川の3地区に分かれています。一方、山下になる坂本には、延暦寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)だった日吉大社や本坊だった滋賀院などがあります。  戦国時代に織田信長(1534-82)によって、一山焼き討ちに遭いましたが、豊臣秀吉(1536-98)・徳川家康(1541-1616)の手によって復興された諸堂は、数多く国宝・重要文化財の指定を受けており、宝物類も目を見はる物ばかりです。  ドライブウェイ・ケーブル・各バスなどを利用して、山上まで比較的簡単に参詣することができます。根本道場であり、もっとも交通の便のよい東塔だけを拝観する人が多いですが、さらに厳粛な空気が漂う西塔・横川の方へ、東海自然歩道を歩いて参詣するのも深い趣が味わえます。 〈国宝〉根本中堂 宝相華蒔絵経箱 金銅経箱 七条刺納袈裟 刺納衣 伝教大師将来目 録 羯磨金剛目録 天台法華宗年分縁起 六祖恵能伝 伝教大師入唐牒 嵯峨天皇宸翰 光定戒牒 〈重文〉根本中堂廻廊 転法輪堂 戒壇院 瑠璃堂相輪

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滋賀県

満月寺 浮御堂

満月寺 浮御堂
近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。現在の建物は昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、昔の情緒をそのまま残している。境内の観音堂には、重要文化財である聖観音座像が安置されている。 【阿波野青畝句碑】  浮御堂の山門のそばに五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ青畝の向碑が立っている。(「五月雨の雨垂ばかり浮御堂」) ●近江八景「堅田の落雁」

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滋賀県

彦根城

彦根城
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)前後に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。 <佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)>外側から見て向かって左側は、国指定の重要文化財です。右側は、100年を記念して鉄筋で作られたもので、「開国記念館」として彦根に関連する資料等の展示が行われています。 <天秤櫓(てんびんやぐら)>長浜城大手門を移築したといわれます。廊下橋を中心ににした姿が、天秤に似ていることからこの名が付きました。この櫓の形は彦根城だけといわれ、国指定の重要文化財です。 <太鼓門櫓(たいこもんやぐら)>本丸表口を固める勇壮な迫力を感じさせる門で、城中合図の太鼓を置いたことからこの名が付きました。釘跡が残っているのは、彦根寺楼門が移築されたためと伝えられていますが、佐和山城か長浜城の城門を移築したものという説もあります。いずれにしても釘跡は移築前の建物の痕跡と見られています。国指定の重要文化財です。 <天守>牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる石垣は自然石を使い、重心が内下に向くように作られ、一見すると粗雑に見えますが強固な造りです。その上に三重の天守が立っています。規模は小さいが、屋根の曲線の調和が美しく荘厳な雰囲気を持っています。また、花頭(かとう)窓が配列されているのも特長の一つとされています。国宝。 <西の丸三重櫓>西の丸は文庫が立ち並んでいたところですが、今は桜の木が植えられ、春には花見客でにぎわいます。国指定の重要文化財です。 <国宝>天守 付櫓及び多聞櫓 彦根屏風 <重要文化財>太鼓門及び続櫓 天秤櫓 西の丸三重櫓及び続櫓 佐和口多聞櫓 馬屋 我宿蒔絵硯箱 <コラム>--- 「時のオルゴ−ル」 お山の鐘として、市民に親しまれている彦根城の時報鐘。  この鐘、当初は鐘の丸に設置され、ご城下に時を知らせていましたが、幕末期に、より遠くまで音色の美しいときを知らせるようにと、多量の小判を投入した鐘に造り直され、太鼓門近くの高台に移されました。  ご城下の人々は、領民安堵のシンボルとして天守を眺め、時報鐘で時を知り、生活を営んでいたのでありましょう。  往時の建物を目で見て、音色も同時に聞くことができるのは、彦根城ならではのもので、時報鐘は時代の移り変わりを音色で知らせる「時のオルゴ−ル」として、今も1日5回打ち鳴らされています。 ●琵琶湖八景「月明:彦根の古城」

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鳥取県

三徳山三佛寺投入堂

三徳山三佛寺投入堂
標高900mの険しい山塊にある霊山。斜面の岩窟に建てられた国宝・三佛寺奥院(投入堂)を頂点に、急峻な尾根を巡る行者道に沿って建つ納経堂、地蔵堂、文殊堂など国の重要文化財建造物である堂宇の姿は圧巻です。

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徳島県

国指定史跡「勝瑞城館跡」

国指定史跡「勝瑞城館跡」
室町時代の阿波の守護所があった藍住町勝瑞。これまでの発掘調査によって、大規模な城館跡の遺構が見つかっており、我が国有数の史跡として国史跡に指定されています。軍事施設としての役割よりも、地域支配の拠点であり、経済的要衝としての性格が色濃い勝瑞城館の遺構や遺物からは、城主であった細川成之や三好実休の文化的な活躍の様子が読み取れる希少で貴重な遺跡です。現在は、継続して史跡整備が行われており、濠や枯山水庭園が整備され、隣接する展示室では出土品などの展示も行っています。また、今後も発掘調査を継続して行う予定で、阿波が輝きを放った当時の様子がさらにひも解かれることに期待が寄せられます。

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徳島県

技の館

技の館
上板町に古くから伝わる伝統工芸を“地元の人々とともに後世に大切に残していきたい”との思いから設置された「技の館」では、伝統的な技法を用いて、藍の苗の栽培からすくもの製作まで、すべての工程を行っています。ここでは、藍染の体験だけではなく、「藍にまつわるすべて」を体験することができます。ぜひ技の館を訪れ、“日本中を染め上げた至高の青の物語”のすべてを体感してみてはいかがでしょうか。

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徳島県

第十樋門

第十樋門
第十堰の上堰入口近くに砂がたまり、旧吉野川・今切川へ水が流入しにくくなったことで、1923(大正12)年に造られました。日本で最初期のコンクリート造りの樋門で、当時としては、国内最先端の技術を用いて作られました。完成当初は、日本一の樋門として吉野川の名所となり、多くの見物客が訪れ、現代でもその立派なゲートとともに、横にある水尺小屋も時代の風格を感じさせます。100年にわたり、吉野川を支え、見守り続けてきたその姿を是非一度ご覧ください。

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徳島県

貞光二層うだつの町並み

貞光二層うだつの町並み
つるぎ町貞光地区は、江戸時代中期以降、商業と交通の要衝として栄えた地域。軒を並べる商家が競って上げた「うだつ」がその繁栄を象徴しています。貞光のうだつは二段式で全国的にも貴重であり、また多種多様な屋根瓦や漆喰細工「鏝絵」が施された見事な美術工芸でもあります。今もなお、伝統的な建物の外観を残しつつ商いを続ける人々がおり、暮らしの中で育まれた文化を今に伝えています。町並みを巡り、昔の生活や当時の人々の暮らしに思いを馳せましょう。

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徳島県

猿飼集落

猿飼集落
猿飼地区は斜度が最大40度にも及ぶ急傾斜の集落であり、世界農業遺産に認定された、持続可能な伝統農法で野菜やそばなどを生産しています。毎年10月になると、急傾斜の畑一面にそばの白い花が咲いて美しい景色を生み出し、観光農園として一般開放されます。人と自然が共生する、悠久の歴史を秘めた風景を楽しんでみませんか。

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藤ノ木古墳

藤ノ木古墳
聖徳太子の斑鳩宮造営(601年)以前の6世紀後半と推定される大型円墳。被葬者は17~25歳と20~40歳の男性2人で、血液型は共にB型と推定されています。被葬者については、諸説あり、古代ロマンに包まれています。石室内に入ることはできませんが、石室入口に設置された鉄扉のガラス 窓越しに、石室内の様子や、玄室の石棺(実物)を見ることができます。

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法輪寺

法輪寺
山背大兄皇子が太子のために建立したと伝えられています。五重塔は昭和19年(1944年)落雷で焼けましたが、昭和50年(1975年)「五重塔」の作者幸田露伴の子、幸田文氏らの尽力で再建されたものです。 拝観料 :大人500円 中学生~高校生400円 小学生200円

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安倍文殊院

安倍文殊院
本尊は、学問と知恵の仏さま・文殊菩薩で、日本三文殊のひとつです。受験生や頭の健康を祈る年配の方の参拝も多く見られます。645年、阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が創建した安倍寺の後身とも言われています。文殊像は木彫極彩色の騎獅像(高さ七メートル・日本最大)で、快慶の作です。 拝観料  :境内自由、本堂拝観は700円(抹茶、菓子付き)

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奈良県

吉野山

吉野山
約200種・3万本の桜が全山を染め上げる日本屈指の桜の聖地。4月上旬から下旬まで美しい風景が楽しめます。

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千利休屋敷跡

千利休屋敷跡
わび茶を大成した千利休の屋敷跡。椿の井戸や利休ゆかりの大徳寺山門の部材で建てられた井戸屋形があります

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日本玩具博物館

日本玩具博物館
姫路城の北東約10kmの田園地帯にあり、土蔵造の6棟に日本と世界160か国から、9万点もの 玩具と人形を所蔵する私立博物館。現館長の井上重義氏が約60年前に玩具の本と出合い、それらが 文化財として認知されず消えゆく状況を知り、全国を歩いて収集。資料公開のため、昭和49年(1974年) 自宅の一部を展示館に開館したのがはじまり。現在は、1・2号館は明治~平成の近代玩具、 3号館はちりめん細工とびん細工。4号館は日本の郷土玩具と世界の玩具。6号館は季節ごとの 特別展が開催されています。平成28年(2016年)にはミシュラン・グリーンガイド二つ星に認定されました。                                                           料金:600円

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伊根の舟屋

伊根の舟屋
人口約1,800人、京都府で二番目に少ない人口の小さな町、伊根町は漁業と農業を中心に、自然に 囲まれた地域です。伊根湾の沿岸には「舟屋」と呼ばれる1階が船のガレージ、2階が二次的な 居室となった独特な構造のタテみのが軒をつらねます。                                                               ※舟屋は漁師や住民の生活の場です。舟屋は個人の所有物であり、その敷地も個人所有ですので 伊根は観光地ではなく生活の文化財です。訪問される際は、写真撮影、見学共に地域住民への ご配慮をお願います。

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湊御殿

湊御殿
湊御殿は、現在の和歌山市湊御殿1丁目にあった紀州藩主の別邸で、2代藩主徳川光貞の時代に 造営されました。その後、歴代藩主が使用し、その間幾度か焼失しましたが、天保3年(1832)、 11代藩主徳川斉順が新御殿の造営に着手し、天保5年(1834)に完成しました。この時新築された御殿は、 江戸城本丸御殿や紀州藩江戸屋敷を模した広壮で豪華な建造物であったと伝えられています。 明治時代には御殿を構成していた多くの建物は取り壊されましたがいくつかの建物は寺院などに 移築されました。この湊御殿はその内の1棟で、和歌山市の指定文化財に指定されています。                                                        《観覧料》(庭園散策は無料) 【一般】 100円(高校生以下は無料)

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夢浮橋・宇治橋

夢浮橋・宇治橋
夢浮橋は現実には存在しない橋のことですが、橋ではじまり橋で終わる宇治十帖をしめくくる古跡として、ひっそりとたたずんでいます。宇治橋は奈良元興寺の僧道登によって初めて架けられたと伝えられるわが国最古級の橋です。平家物語の橋合戦の舞台でもあった宇治橋は、その長い歴史のなかで洪水による流失や戦乱に遭い、度々架け直されてきました。上流側に張り出した「三の間」は、守護神「橋姫」を祀った名残りとか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれています

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宇治市観光センター(対鳳庵)

宇治市観光センター(対鳳庵)
宇治茶の振興と茶道の普及を目的に建てられた本格的な茶室で、平等院の鳳凰堂に相対していることから、「対鳳庵」と名付けられました。

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宇治十帖モニュメント

宇治十帖モニュメント
ヒロイン浮舟と匂宮が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な情景をモチーフとにした源氏物語「宇治十帖」の古跡全体を象徴するモニュメントです。
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