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大阪府, 寺社仏閣, の検索結果

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犬鳴山七宝滝寺・行者の滝

犬鳴山七宝滝寺・行者の滝
犬鳴山は、“日本最古の霊場”とされ、“元山上”と呼ばれています。役小角(役の行者)が28歳の時に犬鳴山を訪れ、修験道の聖地とし初めて開山。その時に出現したといわれる倶利伽羅大龍不動明王が、七宝瀧寺のご本尊になっています。 本堂の奥には行者の滝があり、犬鳴山修験者指導の下、修験道一日体験ができます(要予約)。男女問わず3月~11月の第3日曜に開催されます。

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大阪府

百舌鳥八幡宮

百舌鳥八幡宮
百舌鳥八幡宮は世界文化遺産 百舌鳥古墳群の中に鎮座し、応神天皇を主神とし、 境内社に仁徳天皇他三神を奉斎する古い歴史と伝統のある神社です。 六世紀中頃欽明天皇の御代に八幡神のご託宣を受け、国家泰平の祈願のため当地に創建されたと伝えられています。 境内は約三万平米、指定保存木も多く、なかでも本殿前のクスの巨木は幹周5.2m 樹高25m 樹齢約800年で府の天然記念物に指定され枝葉は八方に広がり観る人を魅了します。 また、毎年中秋の名月(旧暦8月15日)に近い土曜、日曜に行われる月見祭は、豊作祈願と満月を祝う習慣とが合わさった祭礼です。、氏子9カ町より奉納されるふとん太鼓は昼間は朱色の布団が巨木の緑に映え、夜間はライトアップされその勇壮華麗な練り歩きは迫力があり観客を圧倒し、堺市の代表的な秋祭りとして多くの市民から親しまれています。

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開口神社

開口神社
行基が念仏寺、空海が宝塔を境内に建てたことで「大寺」とも呼ばれる塩土老翁神、素盞嗚神、生国魂神を祀る旧市内唯一の式内社。大寺縁起絵巻、伏見天皇宸翰御歌集、短刀銘吉光は国指定の重要文化財です。 旧市内唯一の式内社で塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくたまのかみ)を祀っています。天平18年(746年)行基が境内に念仏寺を建立し、大同元年(806年)空海が宝塔を建てたので「大寺」とも呼ばれています。 元禄3年(1690年)制作された土佐光起筆の「大寺縁起絵巻」、鎌倉時代の仮名の名筆、和歌は京極派の詠み手として知られる伏見天皇の「伏見天皇宸翰御歌集(ふしみてんのうしんかんおんうたしゅう)」、社伝によれば室町幕府十代将軍義稙寄進の「短刀銘吉光(たんとうめいよしみつ)」は重要文化財です。また、「開口神社文書」は鎌倉時代から江戸時代の開口神社と大寺念仏寺関係の古文書で、府の有形文化財に指定されています。

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方違神社

方違神社
摂津・河内・和泉三国の境にある方位のない清地とされ、方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来ます。 摂津、河内、和泉の三国の境にあり、方位のない清地とされ、方除祈願で知られています。古くから遠方へ出かける時その方向がよくない場合に、一度別方向に向かってから出かける風習がありました。方違神社はそのような時にお参りする全国でも珍しい神社で、遠くへ旅する時や家を移る時などに、ここに参れば災難に会わないという言い伝えがあり、新築や転居等の方災除けで各地からたくさんの人々が参詣に来ます。清めの御砂、方災除の粽(チマキ)は大変御利益があるそうで、5月31日のちまき祭は故事にならい、菰(こも)の葉で包んだ粽が参詣者に分けられます。「ほうちがい」さんと呼ばれて親しまれています。 旧境内地には暖かい地域に多く生育する常緑樹「くろがねもち」があり、市内の40本をこえる大木の中でも径・幹周が一番大きく、かなりの樹齢をもつ巨樹で府の指定天然記念物になっています。また、9月中旬のふとん太鼓の秋祭りでも知られています。

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南宗寺

南宗寺
1557年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に建立。夏の陣で焼失後沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休好みの茶室実相庵などがあります。 弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山とした臨済宗大徳寺派の寺院です。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭(たくあんそうほう)らにより再建が行われました。境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休ごのみの茶室実相庵(じっそうあん)などがあります。 方丈前の枯山水庭園は、仏殿等が建築された江戸時代初期と考えられ、前面に広く白砂を敷き小高くなっている地形を利用して枯滝を組み、そこから小石により表現された枯流れを右手の方向に流しています。上流部に架けた石橋と枯滝とがよく調和し、中央部にある横石の石組も素晴らしく、平庭枯山水形式の庭と石組造形を組み合わせて構成された美しい庭園です。 仏殿は禅宗建築の技法を用いた府下では唯一の仏殿建築で、内部の天井には「八方睨龍(はっぽうにらみりゅう)」が描かれています。山門は二階建てで上層に手すりのついた縁がまわる楼門形式の門で、垂木を扇状に並べる技法は禅宗建築の技法のひとつです。唐門は柱間をつなぐ梁に彫られた模様や、柱の先に突き出た木鼻という彫物などが、仏殿や山門と同様のかたちをしていることから、同じ時期に建てられた建物と考えられています。 また、徳川家康が後藤又兵衛の刃に倒れ、当寺に祀られたという伝説の寺でもあります。
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