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寺社仏閣

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京都府

三室戸寺

三室戸寺
寺院は、770年に建てられました。5月にはツツジやシャクナゲ、6月にはアジサイ、7月にはハスと、さまざまな花が咲き誇る庭園です。

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京都府

酬恩庵一休寺

酬恩庵一休寺
この寺院は、日本のアニメ「一休さん」のモデルにもなった室町時代の禅僧、一休ゆかりの寺院です。 お寺の庭園には美しい花が咲き誇り、目を見張るものがあります。

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京都府

石清水八幡宮

石清水八幡宮
石清水八幡宮は、1200年近くの歴史を持つ神社です。その起源は、八幡神が九州の宇佐神宮から男山に遷座された859年まで遡ります。貴族も庶民も同様に、何世紀にもわたってここへ参拝したので、石清水八幡宮は大きな本社、末社、多数の寺院を備え、最終的に山全体へと広がり、そして山のふもとには町が栄えました。八幡神は、京都と皇室の守護者として信仰されてきたため、人々は石清水八幡宮へ厄除けを祈願しに訪れ、それは今日まで続く習慣となっています。 何世紀にもわたって、石清水八幡宮は、神道と仏教の両方の宗教的要素を組み合わせた複合体でした。神道の神聖な存在(神)と仏教の神聖な存在(仏陀、菩薩)を融合したひとつの存在として信仰するというこのスタイルは、仏教が6世紀に日本へ伝来した後に徐々に一般的な習慣となっていきました。八幡神への信仰は特に篤かったため、石清水八幡宮は、神仏習合の発展と八幡神信仰を全国に広める上で大きな影響を及ぼしました。この神仏習合は、政府が1868年に二つの宗教を分離する命令を出すまで、1000年以上続きました。 石清水八幡宮は、現在でも全国有数の神社の一つであり、その長い歴史、神仏習合の宗教的伝統、注目すべき建築物で知られています。2016年には、本殿を含むいくつかの建造物が国宝に指定されました。

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京都府

平等院

平等院
平等院は1052年に藤原頼通によって別荘から寺院に改められました。10円玉の図柄には鳳凰堂が描かれています

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京都府

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺
本堂、三重塔、九体の阿弥陀如来坐像、四天王立像はすべて国宝です。紅葉の名所としても有名です。

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鳥取県

不動院岩屋堂

不動院岩屋堂
昭和28年に国の重要文化財として認定され、本堂の不動明王は弘法大使33歳の時に刻んだ「日本三大不動明王」の一つだといわれています。間口約7m、高さ13m、奥行き10mの天然岩窟の中に正面、側面ともに3間の前方が入母屋造の屋根をもち、床下は三徳山と同じ造りです。

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徳島県

四国八十八カ所巡礼二十三番札所薬王寺

四国八十八カ所巡礼二十三番札所薬王寺
弘法大師・空海が修行したと信じられている八十八カ所の霊場を巡る四国遍路のうち、厄除けや桜の名所として有名で、境内では写経体験もできます。

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徳島県

四国八十八カ所巡礼十二番札所焼山寺

四国八十八カ所巡礼十二番札所焼山寺
弘法大師・空海が修行したと信じられている八十八カ所の霊場を巡る四国遍路のうち、「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつで、空海が歩いた時の自然が現在も残っています。

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徳島県

四国八十八カ所巡礼一番札所霊山寺

四国八十八カ所巡礼一番札所霊山寺
弘法大師・空海が修行したと信じられている八十八カ所の霊場を巡る四国遍路のうち、発願の寺とも呼ばれ、多くの場合お遍路の起点となるお寺です。

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徳島県

城満寺

城満寺
鎌倉時代からの歴史を持つ、四国最古の禅寺で、座禅体験をすることもできます。

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徳島県

太龍寺ロープウエイ

太龍寺ロープウエイ
道の駅「鷲の里」から太龍寺までを結ぶ西日本最長(全長2,775m)のロープウエイで、さまざまに変化する渓谷美などを楽しむことができます。到着後には第21番札所の太龍寺があります。

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大阪府

開口神社

開口神社
行基が念仏寺、空海が宝塔を境内に建てたことで「大寺」とも呼ばれる塩土老翁神、素盞嗚神、生国魂神を祀る旧市内唯一の式内社。大寺縁起絵巻、伏見天皇宸翰御歌集、短刀銘吉光は国指定の重要文化財です。 旧市内唯一の式内社で塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくたまのかみ)を祀っています。天平18年(746年)行基が境内に念仏寺を建立し、大同元年(806年)空海が宝塔を建てたので「大寺」とも呼ばれています。 元禄3年(1690年)制作された土佐光起筆の「大寺縁起絵巻」、鎌倉時代の仮名の名筆、和歌は京極派の詠み手として知られる伏見天皇の「伏見天皇宸翰御歌集(ふしみてんのうしんかんおんうたしゅう)」、社伝によれば室町幕府十代将軍義稙寄進の「短刀銘吉光(たんとうめいよしみつ)」は重要文化財です。また、「開口神社文書」は鎌倉時代から江戸時代の開口神社と大寺念仏寺関係の古文書で、府の有形文化財に指定されています。

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大阪府

方違神社

方違神社
摂津・河内・和泉三国の境にある方位のない清地とされ、方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来ます。 摂津、河内、和泉の三国の境にあり、方位のない清地とされ、方除祈願で知られています。古くから遠方へ出かける時その方向がよくない場合に、一度別方向に向かってから出かける風習がありました。方違神社はそのような時にお参りする全国でも珍しい神社で、遠くへ旅する時や家を移る時などに、ここに参れば災難に会わないという言い伝えがあり、新築や転居等の方災除けで各地からたくさんの人々が参詣に来ます。清めの御砂、方災除の粽(チマキ)は大変御利益があるそうで、5月31日のちまき祭は故事にならい、菰(こも)の葉で包んだ粽が参詣者に分けられます。「ほうちがい」さんと呼ばれて親しまれています。 旧境内地には暖かい地域に多く生育する常緑樹「くろがねもち」があり、市内の40本をこえる大木の中でも径・幹周が一番大きく、かなりの樹齢をもつ巨樹で府の指定天然記念物になっています。また、9月中旬のふとん太鼓の秋祭りでも知られています。

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大阪府

南宗寺

南宗寺
1557年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に建立。夏の陣で焼失後沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休好みの茶室実相庵などがあります。 弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山とした臨済宗大徳寺派の寺院です。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭(たくあんそうほう)らにより再建が行われました。境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休ごのみの茶室実相庵(じっそうあん)などがあります。 方丈前の枯山水庭園は、仏殿等が建築された江戸時代初期と考えられ、前面に広く白砂を敷き小高くなっている地形を利用して枯滝を組み、そこから小石により表現された枯流れを右手の方向に流しています。上流部に架けた石橋と枯滝とがよく調和し、中央部にある横石の石組も素晴らしく、平庭枯山水形式の庭と石組造形を組み合わせて構成された美しい庭園です。 仏殿は禅宗建築の技法を用いた府下では唯一の仏殿建築で、内部の天井には「八方睨龍(はっぽうにらみりゅう)」が描かれています。山門は二階建てで上層に手すりのついた縁がまわる楼門形式の門で、垂木を扇状に並べる技法は禅宗建築の技法のひとつです。唐門は柱間をつなぐ梁に彫られた模様や、柱の先に突き出た木鼻という彫物などが、仏殿や山門と同様のかたちをしていることから、同じ時期に建てられた建物と考えられています。 また、徳川家康が後藤又兵衛の刃に倒れ、当寺に祀られたという伝説の寺でもあります。

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徳島県

お松大権現

お松大権現
「猫神さま」として親しまれ、幸運や金運を呼ぶと言われる招き猫が境内に約1万体奉納されています。勝負事・願い事の神様としても有名で、受験シーズンには多くの参拝客で賑わいます。猫好きは必見!

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徳島県

眉山天神社

眉山天神社
眉山のふもとにある、学問の神様を祀った神社で、県内外の受験生をはじめ、多くの来訪者があります。また、季節ごとのデザインが変わる御朱印も評判です。

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三重県

仙宮神社

仙宮神社
「猿田彦神社」の祭神としても知られる猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀り、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)とも関わりが深い由緒ある神社です。 標高約70mの山の上にあり、裏手の磐山には、猿の横顔に似た巨岩(猿神石)を見ることができます。 御神木であり「蘇りの木」と呼ばれるバクチノキの横から本殿へと360段余りの石段が続き、山々の空気が気持ち良い。 本殿背後にある磐座(いわくら・巨岩群)は古代の祭祀跡で多くの遺物が出土しており、文化財の神社遺跡に指定されています。 絵馬殿には、百人一首や天の岩戸の神話にちなんだ色鮮やかな絵画が奉納されており、見ごたえがあります。

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三重県

尾鷲神社

尾鷲神社
三重県の東紀州に位置する尾鷲神社は、天下の奇祭ヤーヤ祭りでつとに知られ、尾鷲七郷の総鎮守(氏神様)として親しまれています。 また、傍らに通る熊野古道からもうかがえるように、伊勢信仰や熊野信仰とも関係の深い歴史ある古宮です。 尾鷲神社は、古事伝承や御神徳に満ち、神事や祭典、文化財の宝庫でもあります。ぜひいちどお越しください。

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三重県

伊勢神宮内宮(皇大神宮)

伊勢神宮内宮(皇大神宮)
およそ2,000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮は皇室の御祖先であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りしています。 内宮の入口である宇治橋をわたり、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むとそこは神域。「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がります。

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福井県

白山平泉寺 / 平泉寺白山神社

白山平泉寺 / 平泉寺白山神社
境内は一面に緑の美しい苔で覆われ「苔宮」「苔寺」とも呼ばれますが、現在は明治の神仏分離令により寺号を廃止し、白山神社となっています。 養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたと伝わり、白山信仰の越前側の拠点となりました。平安後期には天台宗比叡山延暦寺の末寺として発展し、最盛期の戦国時代には、48社、36堂、6,000の坊院が建ち並び、寺領は9万石・9万貫、8,000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時は日本屈指の宗教勢力であったようです。 天正2年(1574年)、織田信長方に属していた白山平泉寺は、越前の一向一揆勢に攻められ全山が焼失、10年後に一部再興されましたが、境内は元の10分の1程度にすぎず、多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれました。 白山平泉寺の境内は、現在の平泉寺区集落を含む東西約1.2km、南北約1.0kmの範囲と推定され、平成元年(1989年)から始まった発掘調査によって、当時の遺構がそのまま平泉寺区の地中に埋もれていることが判明。遺跡の広大さや保存状態が良好であることから、旧境内全域が国史跡に拡大指定され、名称も「白山平泉寺旧境内」となりました 泰澄を白山に導いた女神が現れたと伝わる御手洗池や、全山焼失に耐えて残ったと伝わる大杉など往時の白山平泉寺の姿をしのぶことができ、中世の遺跡としては国内最大級の見事な石敷道や、斜面を階段状に整えながら続く坊院群の跡を見ることができます。すぐ近くの総合ガイダンス施設「白山平泉寺歴史探遊館まほろば」では、白山の歴史や自然を学ぶことができます。 「平家物語」では木曾義仲の「火打合戦」に登場し、「義経記」にも源義経が「有名な平泉寺に行きたい」と立ち寄った話が描かれています。 明智光秀の人生を描いた「明智軍記」では朝倉家滅亡を描いた記述に多数登場します。
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