寿司や刺身、焼魚、煮付けなど、日本人にとって旬の魚を使った料理は身近な存在です。その一方で、「これまで捕れていた魚が捕れなくなった」「見たこともないような魚が捕れるようになった」といったニュースもしばしば。温暖化などによる自然環境の変化をそんなところからも感じますが、私たちはこれまでと同じように、安くておいしい魚を未来でも食べ続けることができるのでしょうか——?さらに、今後の世界人口の増加による食糧難などの課題もあるなか、ゲノム編集という最先端の科学で、重要なタンパク源である魚の品種改良や新たな養殖技術の実現に取り組む関西の企業があります。
タンパク質クライシスと衰退する日本の水産業の課題解決を目指して
ゲノム編集をコア技術に、水産物の品種改良や新たな養殖技術を実現することでさまざまな課題解決に取り組んでいるのは、京都大学内に本社を置くリージョナルフィッシュ株式会社です。今回は代表取締役社長の梅川忠典さんに、ゲノム編集を用いた品種改良や事業を通じて目指したいビジョンなど、いろんなお話を伺いました。


2050年には世界人口が今の約80億人から100億人近くに増えると言われ、食糧難は人口増加による地球規模的な課題の一つとされています。最近はタンパク質クライシスといった言葉も少しずつ認知されるようになりました。
梅川さん2030年にはタンパク質の需要が供給を上回り、2050年には現在の約2倍のタンパク質が必要とされています。特に現代社会はタンパク源として食肉に大きく依存しています。誰でもおいしいものを食べたいと思うように、人間は豊かになればなるほど、よりおいしい「良質なタンパク質」を求めます。今後、世界人口を満たすタンパク質をどこで、どう増産するのか。たとえば食肉増産のためには、その家畜を飼う土地や飼料(=穀物)の増産も必要です。新たに森林を切り拓くといった手法は、さらなる環境悪化を引き起こすなどサステナブルな解決策ではありません。また、牛の体重1kgを増やすのに必要な飼料が10kg以上であるため、そんな飼料を作るだけの耕作面積がないとなるわけです。そこで培養肉や昆虫食など少ない飼料やエネルギーでタンパク質を作り、タンパク質クライシスの解決を目指すわけですが、飼料が少なくてもよく育つ魚が有望な選択肢の一つだと私たちは考えています。
タンパク質クライシスによって、お刺身が超高級料理になる…といった未来もあり得るわけですか?
梅川さん十分にあり得ることです。特に最近は温暖化の影響で地方の水産業が大きく変化しています。たとえば、昔は福井県小浜で水揚げされたサバが「鯖街道」を通り、京都まで運ばれていました。しかし、現在の小浜ではサバの水揚げがほとんどなくなっています。その結果、漁師さんはもちろん、地域の加工業者や小売業者も仕事が減り、ひいては地域経済全体にも影響を及ぼしています。鯖街道では、今や他地域産や海外産のサバが流通する状況になっていますが、日本全体を見ても水産の生産量や水産従事者数は1980年と比べて3分の1に減少しており、全国各地で水産業の衰退が進んでいるのが現状です。魚が獲れなくなったからといって輸入に頼れば、輸送コストがかさみ、価格も高騰します。私は日本の魚が一番おいしいと常々思っていますが、このままでは国産魚のお刺身が手の届かない存在になる時代が来るかもしれません。
魚料理は日本では古くから親しまれてきました。そんな食文化がなくなってしまう未来は想像したくありません。
梅川さん天然の魚はどの海外でも漁獲できるわけですが、神経締めや血抜き、熟成など、日本には優れた加工技術があるからこそ、魚をおいしく食べられる文化が根づいています。だからこそ、誰もが日常生活の中でお手頃な価格で食べられる魚を供給し続けたい、さらにサステナブルな視点で世界の食糧難や日本の水産業の衰退といった課題を解決したいと考え、ゲノム編集をコア技術としたリージョナルフィッシュを起業しました。
起業までの経緯を教えてください。
梅川さん私はこれまでコンサルティングファームや政府系の投資ファンドで企業の投資・経営支援に従事してきましたが、大手企業の内幕を知れば知るほど、このままではアジア各国に追いつかれるという危機感がありました。そんな中、日本の産業を支える「食」、特に水産業に目を向けると、魚の品種や生産体系は昔からほとんど変わっていません。しかし、この品種改良と新しい養殖技術を取り入れることで、海外にはない加工技術を活かしたバリューチェーンを構築し、世界と戦う力を持つことができると考えました。ゲノム編集といったなど生命科学は2013年頃から京都大学でも研究が進められていた技術です。京都大学のVCや産官学連携本部(現成長戦略本部)の仲介で、魚類のゲノム編集育種の第一人者である木下政人准教授と知り合い、意気投合。2019年に共同創業しました。また、品種改良と切っても切り離せないのが養殖技術です。京都大学だけでは魚の養殖ができないため、クロマグロの完全養殖技術などでこの分野をリードする近畿大学との共同研究成果を活用することでスタートしました。


狙った変異を人為的に起こす「欠片型ゲノム編集」による品種改良
そのゲノム編集を用いた品種改良ですが、いったいどんなものなのでしょうか?
梅川さんまず品種改良とは何かを知る必要があります。これまでの人類の歴史の中で、農耕・家畜は1万年以上をかけて、より効率よく、生産性が高くなるよう品種改良を行ってきました。たとえばバナナ。元々は種がありましたが、自然変異で種がないバナナが生まれました。変異は子どもに受け継がせて(固定化)、種なしバナナが通常となりました。同じようにより生産効率が高く、美味しい物の子孫を意図的に残してきたことで今日のフルーツがあります。同じようにイノシシをブタにしたり、ケールをキャベツやブロッコリーにしたりと、人間は長い年月をかけて、自然界で起こる有益な突然変異を選び取り、次の世代に残す、それを繰り返すことで品種改良してきました。
今の私たちの身近な食べ物の多くは、長い品種改良を重ねた結果なのですね。
梅川さんその通りです。ただ、これまでのように有益な変異を自然にゆだねるだけだと、途方もなく時間が掛かります。今の世界の状況ではとても待てません。私たちが行っているゲノム編集は、簡単に言えば突然変異を人為的に狙って起こす技術で、ある性質に作用する遺伝子を切るという「欠片型ゲノム編集」でその性質を失わせる手法です。たとえば、食欲を抑える遺伝子を切ると、食欲を抑える遺伝子の抑えが働かなく、エサをよく食べ、成長が早いという性質を持ちます。ゲノム編集はこのように意図的に変異を起こすことができ、従来は数十年以上かかっていた品種改良がわずか数年で完了できます。また、野菜や肉は品種改良が盛んに行われてきましたが、水産物は次の世代の子供を作る完全養殖が始まって、(海産物は)50年程度と歴史が短いことから、品種改良は大きく遅れていました。それも起業した理由の一つで、魚の品種改良にはまだまだ開拓の余地が大きくあるのです。
すでにいくつかのゲノム編集育種の品種をオンラインショップで販売していますね。
梅川さん肉付きがよい「22世紀鯛」、成長速度が1.9倍の「22世紀ふぐ」、高成長の「22世紀ひらめ」で、すべて飼料が少ない品種となっています。現在は高温耐性マサバや、低アレルゲンのエビなど、約20種類以上の魚の品種改良を、100名の社員体制、25名超の博士研究員のもと、一気に研究を進めています。研究のスピード感とスタッフのパワーがリージョナルフィッシュの強みです。論文などから仮説を立て、検証し、ダメなら次に取り組むといった研究サイクルを速く回せるのは、大学の研究室ではなく、専門の研究者を多く抱える企業の事業として取り組んでいるからこそですね。食糧難は待ったなしで訪れますので、このスピード感は不可欠です。


ゲノム編集育種の安全性も気になるところです。
梅川さんよく混同されるのが遺伝子組換え技術がありますが、これは例えば大豆に赤くしたいというときに、色素を生むほかの生物の遺伝子を加えて、赤い大豆を生み出すなど、自然界では発生しえない性質を生物に付与します。
しかし、欠片型ゲノム編集は自然界で起こる突然変異をスピーディーに狙って再現するものです。自然界でよく起こる、太陽光などを浴びて遺伝子が自然に欠失することと何ら変わりがありませんし、狙った遺伝子以外の遺伝子に変化がないかも確認しています。
国への届出を行い、食品としての安全性は従来の食品と同程度です。ゲノム編集技術を利用して開発した「22世紀鯛」「22世紀ふぐ」「22世紀ひらめ」については、厚生労働省(現在は消費者庁へ移管)の通知に従って事前相談を行い、専門家の意見を聴きながら、様々な観点から食品としての安全性に問題がないことを確認していただきました。また、農林水産省の通知に従って情報提供を行い、農林水産省において、専門家の意見を聴きながら、生物多様性影響の観点から問題がないことも確認していただいています。
品種改良した魚とスマート陸上養殖で課題を“おいしく”解決
ゲノム編集を行った魚の養殖も重要な事業の一つですね。
梅川さんスマート陸上養殖は近畿大学やNTTとも連携して行っているもので、水温や光といった養殖環境や成長度合いなどをAIやIoTを駆使して把握し、効率よく最適な水産養殖を、陸上で行うことを目指しています。人間が品種改良してきたブタを野生に放つと生き延びることは難しく、イネだって野原に植えると枯れてしまいますよね。品種改良したものは人が環境を作ってあげなければ、うまく育つことも収穫することもできません。品種改良をすればするほど、人間が生育に最適な環境を作り出す必要があるのです。
その陸上養殖とはどういうものでしょうか?
梅川さん海で養殖すると、生育に最適な環境を作り出すために水温や酸素量などを調節したくても対応できないので、環境をよりコントロールできる陸上のプラントという形が最適だと考えています。またAIやIoTといった技術は陸上養殖でこそ力を発揮できます。
小規模なプラントでは採算が取るのが難しいため、大規模なプラントで展開したいと考えています。2024年12月には静岡県磐田市にNTTグループと共同で約1万㎡のエビの養殖プラントを完成させました。
実際にスマート陸上養殖のプラントが完成しているんですね!
梅川さん近い未来、品種改良によってその地域ならではの特徴を持つ魚を、その土地で養殖できるようになると、各地域の水産業の復興にも大きく貢献できます。特定の産地でとれることを強調した地魚「ローカルフィッシュ」は品種が変わっていません。産地×品種で生まれる、地域を盛り上げる地魚「リージョナルフィッシュ」を生み出すことを私たちは目指しています。今は福井県と連携協定を結び、マサバやアカウニの研究も行うなど、各自治体との連携も進んできました。


課題はあるのでしょうか?
梅川さん私たちはこの事業にワクワクしながら取り組んでいるのですが、一般的にはいつも食べている食品が品種改良が行われているということを知らないわけですから、突然、ゲノム編集なんて聞いたら、一般の消費者はその文字だけで怖がってしまうんです。変異は自然に起こることで、商品の問題性もない。商品は特別高価でもなく、味も普通においしいです。でも、スーパーマーケットの売場でこれまで話してきたようなことを消費者に理解してもらうのは難問ですね。私たちの意識と消費者意識の差がまだまだあるんです。マーケティングの分野からの新たな挑戦が今後は必要です。実は2025年の万博はとてもいい機会だと思っています。万博はアミューズメントの部分だけではなく、たくさんの人が最先端の技術に触れるなど、科学を学ぶという側面もありますよね。環境意識が高まっている今、食の安全・安心って何だろう?食糧難にどう対応していくんだろう?……といったことも視野に入ってくるはずです。そういったところから、私たちの事業を知ってもらえるとうれしいですね。
夢のある技術ですから、たくさんの人に知ってもらいたいですね。
梅川さんやっぱりおいしいことが大切。食べるものが少なかった時代が長く続いたこともあり、品種改良は生産効率を上げることが主目的でしたが、今は味もよくする努力も欠かせません。うま味を感じるアミノ酸成分が多い魚や、脂ノリがいい魚など、狙ってできる技術があるわけですから、おいしい魚をこれからも供給し続けられるはずです。飼育期間が短い性質を持つ魚であれば、出荷までの期間が短いので飼料代や人件費が削減でき、コストも下がりますのでメリットも大きいですよね。そんな新しい水産業のカタチを目指しながら、私たちはさまざまな社会課題を“おいしく”解決していきたいと考えています。

リージョナルフィッシュ株式会社
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